2025年12月7日

マリー・アントワネット自叙伝 61

判決

 夫の運命を決定する決議は1793年1月14日に行われました。当時の議員数は749人で、それぞれが壇にのぼり、自分の意見を述べましたが、欠席した人もいました。議長に選ばれたのは、革命家であり法律家のピエール・ヴィクトリアン・ヴェルニオで、ロべスピエールと意見がぶつかり合っていた人です。

夫の運命は
国民公会の裁判に委ねられました。


決議の内容は四つありました。

 

1、ルイ・カペーは人民の自由に関して有罪か。

2、国民公会によるルイ・カペーの判決を人民の正式承認にかけるべきか。

2、ルイにいかなる刑を科すべきか。

4、ルイ・カペーの死刑判決に猶予をつけるかどうか。  

 

1月15日から19日にかけて、それぞれの投票が行われました。誰が賛成し誰が反対したか、その明細が法務省に保管されているそうです。


もっとも重要な処刑に関する投票は1月17日で、投票の結果によると361人が死刑賛成、反対334。賛成者の中に執行猶予に関して協議すべきだという意見が出たために、18日夜から19日早朝にかけて、死刑判決に執行猶予をつけるかどうかの最後の投票が行われることになりました。その結果、出席した690人の議員の内、310人が賛成し380人が拒否したのです。このように、夫の処刑は大きな差で決定されたのでした。


夫の3人の弁護士はすぐに控訴を提起したのですが、即座に断られました。これで最悪の運命を回避する希望は、完全に断たれたのです。


議会で投票が行われている間、夫は侍従クレリーとひっそり苛酷な時を過ごしたようです。

1月20日、法務大臣ドミニク・ジョゼフ・ガラ、副検事エベール、夫の弁護士マルゼルブがタンプル塔に足を運びました。前日の判決の結果を伝えるためです。


マルゼルブ弁護士は夫の姿をみると、こらえきれなくなり大粒の涙を流しました。そうした弁護士に夫は声をかけたのです。「余は、あなたの涙が私に判決告げると思っていた。元気を出したまえ、新愛なるマルゼルブ

マルゼルブ弁護士は、夫の姿を見るやいなや、ひざまずき、
言葉を発することも出来ず、粒の涙を流しました。


夫は、死の判決を告げられても少しの動揺も見せず、毅然とした態度を少しもくずさず、静かに聞いていたそうです。その姿には威厳があり、あまりにも気高く、偉大で、目頭が熱くなるほどだったと、副検事エーベルは感動を綴ったそうです。エーベルは過激派で国王処刑を激しく要求していた恐るべき人物だったのですが、そうしたエーベルでさえも心を打たれるほど、夫は立派だったのです。夫はその翌日に処刑されることも、知らされました


自分の死刑判決を告げる用紙を、几帳面な夫は丁寧にたたんだ後、ポケットに入れました。どこまでも律義で真面目な夫。いかなる時にも国民を愛し続けていた国王が、このような残酷な判決を受けるなど理解できません。一体彼は何をしたというのでしょう。

裁判の結果を静かに聞く夫。


その後、夫は最後の願いを法務大臣宛てに書きました。

1793年1月20日の日付けで始まり、最終行にルイとサインを入れています。

その主だった願いは

「神の前に行く準備のために、3日間の猶予が欲しい」

「家族に会わせて欲しい」

「国民公会が今後も家族を見守って欲しい」

「告解師はエッジワース・ドゥ・フィルモンにしたい」


夫が法務大臣に渡した最後の願い。

夫の最後の願いのうち、3日間の猶予だけ拒否されたのでした。
夫が告解師選んだエッジワース・ドゥ・フィルモンは、アイルランド生まれで。後にフランスに亡命し、神学校で学び、パリ教区の総代理になった方。最後まで夫に連れ添ってくださいました。
最後の瞬間まで夫の心の支えとなって下さった、
エッジワース・ドゥ・フィルモン神父様