2010年8月11日

奇跡のメダル

            
8月15日。この日は聖母マリア昇天祭の日。
そして私にとっては「奇跡のメダル教会」に行く日。
教会というとヨーロッパの場合は
厳かで重々しいのが多い。
けれども、
パリ7区にある
「奇跡のメダル教会」は、
底抜けに明るく、そこにいる誰もがとても幸せそう。
祈りを捧げるというよりも、
聖母マリアと語り合う教会という表現が
ぴったりの雰囲気。
それというのも、
聖母マリアがここに姿を現したことがあるからなのです。

それは1830年7月18日から19日にかけてのこと。
当時、修練女だったカトリーヌ・ラブレーが
一日のおつとめを終えベッドで休んでいると、
突然、白い服の子供、実は天使が現れ、
カトリーヌを礼拝堂へと導きます。
そこには眩しいほどの光があり、
その中に、椅子に腰かける
一人の女性の姿が見えました。
カトリーヌがあっけにとられていると、
先ほどの子供が
「この方が聖母マリアさまです」
と、カトリーヌに諭すように語ります。
聖母マリアが腰かけていたのは
ブルーのビロードの椅子で〔写真右〕
今でも教会にあり、
誰でもまじかで見ることが出来ます。

その後何度か
聖母マリアはカトリーヌに出現し、
ある日メダルを作るよう頼みます。
そして、
自らそのメダルの裏と表のデザインを
示したのです。
聖母マリアは慈愛を込めてカトリーヌに語ります。
このメダルを信じて身につける人、
そしてこの祭壇のもとに来る人には
お恵みがあります、と。
それ以降、この話を信じる人が、
世界中から集まるようになったのです。

奇跡というと、人里離れた山の中とか泉のほとりを想像しがち。
ところがパリの真ん中に出現したのですから、最初は誰も信じなかったようです。
けれども、
聖母マリアを心から敬うカトリーヌの不屈の精神が、
ついにメダル制作を実現させたのです。

聖母マリアに選ばれたカトリーヌは、
その後老人や恵まれない人々の世話をし、
静かに生涯を閉じます。

カトリーヌ・ラブレーは亡き後聖女と呼ばれるようになり、
教会の祭壇の右手にある
ガラス張りの棺の中に横たわっています。
聖母マリアを見つめた、
透き通るような青い瞳は閉ざされていますが、
多くの人々が世界中から集まり、祈りを捧げ、
メダルを手にするのを見ているはず。
そして聖母マリアの願いを伝えられたことを、
清らかな心で喜んでいるはず。
街の真っ只中に聖母マリアが出現したパリ。
やはり比類なき街ですね。