2017年12月14日

メトロの駅名は語る 66

Nationale
ナショナル(6号線)

革命の時代に形成されたギャルド・ナショナル(国民衛兵)から生まれた駅名。

1789年、フランスの経済は最悪な状態で治安も悪く、これ以上、政府をあてにしていられないと、国民は自分たちを守る組織を作ることにします。
国民衛兵司令官に任命されたラファイエット。
パリで創設された国民衛兵は中流階級の人で成り立っていて、最初の司令官は、アメリカ独立戦争で活躍したラファイエット将軍でした。この組織はまたたく間に全国に広がります。
国民衛兵に守られながらヴェルサイユ宮殿を後にし、
パリに向かう国王一家。
これを最後にヴェルサイユ宮殿に戻ることはありませんでした。
7月14日のバスティーユ襲撃後、10月6日、国王一家が住むヴェルサイユ宮殿に向かった市民たちが、王家の人々を守る近衛兵とぶつかりあった際、それを鎮めたのが国民衛兵。
国王一家がパリに連れていかれる際に、暴徒の手にかからないように護衛していたのも国民衛兵でした。

パリのチュイルリー宮殿に暮らすようになった国王一家。
当初は庭園の散歩も許されていました。
成人の国民衛兵と同じ制服を着た少年兵士と
会話を交わす国王たち。
その後革命が悪化するに従って、国民衛兵の指導者に過激な人物が選ばれるようになり、ついに、国民衛兵は革命のために戦うようになったのです。

ところが革命家たちが処刑され、王党派が力を盛り返してくると、国民衛兵は王党派につきます。

1795年10月5日、パリのサン・ロック教会近辺で、国民衛兵と王党派が団結して反乱を起こし、当時の不評だった総裁政府打倒をこころみます。

その時、それまで無名に等しかったナポレオン・ボナパルトが、総裁政府の命令で反乱軍を見事に打ち破ったのです。

総裁政府の命令を受け、ボナパルト将軍は反乱を短時間で鎮めます。
これをきっかけに
ナポレオン・ボナパルトは英雄視されるようになります。
サントノレ通りにあるサン・ロック教会前で、
ボナパルト将軍は王党派・国民衛兵を打ち破りました。

彼は街中であるにもかかわらず、大胆にも大砲を放ち、
短時間で勝利を得たのです。
これによって国民衛兵は解散に追い込まれ、ナポレオンは英雄と称えられ、出世街道を驚異的な速さで進んでいくのです。

ナポレオンが失脚し王政復古が実現すると、国民衛兵も息を吹き返し、19世紀のナポレオン3世の第二帝政まで続きました。けれども、その後再び消えてしまいます。

ところが近年になって一連のテロが起き、それに対抗するために2016年、オランド前大統領によって、予備軍の役目を果たす国民衛兵が新しい形で生まれました。

志願者と予備兵で構成されている現在の国民衛兵は、75000人もいるそうで治安維持のためにいいと好評です。たしかに兵士の姿を随所で見ると安心感があります。