2024年9月4日

マリー・アントワネット自叙伝 34

 フェルセンさまがフランス常住を決意しました

 

スウェーデンに暮らしていたフェルセンさまは、グスタフ3世の重要な相談役を務めていました。国王に忠誠を誓い、数々の業績をなしたフェルセンさまでしたが、グスタフ3世から、特別全権委員としてデンマークに滞在するよう依頼を受けたときには、はっきリ断ったそうです。その理由は、ご本人から伺ったのではないのですが、例の首飾り事件で私の評判が悪くなったことが心配で、フランスに一刻も早く戻りたいと思っていたようです。それにフランスの経済状態も悪化する一方で、それもきっと気がかりだったのでしょう。


1788年にヴェルサイユ宮殿に姿を現したあの方は、33歳の輝くばかりのりりしいお姿。再会した瞬間に、私の鋭敏な感性がしっかり捉えました。あの方の私への感情に大きな動きがあったことを。


以前は、フランスのために仕える身である自覚が強かったようでしたが、今回は別でした。私を王妃としてではなく、ひとりの女性として見るようになったことを確信をもって言えます。実際に、ヴェルサイユ宮殿に再び足を入れるようになったフェルセンさまは、お妹さまにお手紙で打ち明けていたのです。


・・・私はここにいることが、とても幸せです・・・

 

フェルセンさまはご自分には2人の大切な女性がいるとも、お手紙にはっきり綴っていました。ひとりはお妹さまで、もうひとりはこの私です。

 

・・・ああ、もしも、あなたたち2人を一緒に見ることができれば・・・

 

このようにあの方は、この世でもっとも大切な2人の女性が、ご自分の身近にいることを願っていたのです。思いを寄せているフェルセンさまが、ついに心を向けてくださった。それを察したときの喜びは、とても言葉で表現できるものではありませんでした。満開の美しい花々に囲まれているかのように、幸せでした。フェルセンさまの吐息を身近で感じられるヴェルサイユが、この上もなく愛しく思えました。

フェルセンさまの日記。
毎日のように書いていたそうです。


フェルセンさまがお傍にいて下さる毎日がバラ色でした。プティ・トリアノンにも頻繁にご招待しましたし、その庭園にある人工的に造った洞窟や、展望台ベルヴェデールにも連れ立って行きました。多少小高いところに建てられたベルヴェデールは八角形のネオクラシック。天井はドームになっていて、壁には壁画がほどこされ、床は大理石をモザイクのように並べています。このベルヴェデールを音楽の 館にしていました。

洞窟とベルヴェデール。

ベルヴェデールの内部はとても優美で
床のモザイクもリズム感があって気に入っています。

人工的に造った小さな島の上の愛の神殿にも、フェルセンさまと何度も足を運びました。ベルヴェデールも愛の神殿も私の発案なので、特別な愛着がありました。ああ、あの幸せに満たされていた日々が懐かしい。人生をやり直すことができたら、と心底から思わずにはいられません。


私がフランスに嫁いだのは14歳の年でした。その同じ年齢のときに、フェルセンさまは、お父さまのご希望で様々な国に滞在して、見聞を広めたり軍事教育を受けたりしていらしたのです。そのために、知識が驚くほど豊富で、話術に富んだあの方のお話を時間が経つのを忘れて聞き入っていました。イギリス、スイス、イタリア、ドイツなどヨーロッパの主要都市の話題は、外国をほとんど知らない私には、とても魅力的でした。お父さまが有力な貴族でしたので、各国に滞在していたスウェーデン大使が手厚くお迎えしていたそうです。当然、それぞれの国の貴族たちとの交流もあり、晩餐会や舞踏会にも出席なさっていたとのこと。


数人の貴族令嬢たちがフェルセンさまに特別な感情を抱いたようですが、心を許すことはなかったようで、それを知った時には、ほっとしました。あの方がいかに素晴らしいか、フェルセンさまの友人が残した名文があります。

 

・・・哀愁をおびた顔と美しい容姿を持ち、威厳と気品ある振る舞いをし、エレガントな動きをする人・・・

 

これほどの方に巡り会えたことを、感謝しないではいられませんでした。あの方と過ごした一瞬一瞬が、どれほど私の人生に輝きを与えてくれたことでしょう。

  

プティ・トリアノンから歩いて行ける距離にある村里は、私のユートピアでした。そこにご招待するのは、私と気が合い、信頼できる人のみ。フェルセンさまはもちろん大歓迎しました。夫は村里に興味がなかったためか、あるいは私の邪魔をしたくなかったためか、ほとんど来ませんでした。夫の趣味は狩猟と機械いじり、錠前作りで、趣味に関しては、私たちの間に接点がまったくなかったのです。


プティ・トリアノンから村里に向かうお散歩道を造ったのは、私のアイディアです。小川と小さな島が途中にある、童話のような世界を味わえるそのお散歩道を進んで行くと、突然、目の前に村里が見えてくるようにしたかったのです。

プティ・トリアノンから村里に向かう小道。


フェルセンさまは村里ではとてもリラックスしていました。女官も含めて、皆、私たちがお互いに惹かれていることをわかっていたと思います。こうした微妙な感情は、ちょっとした仕草にも表れるものです。相手に向ける視線に熱い輝きが光っていたり、交わす言葉に甘美な響きがあったり、うれしさを隠しきれないかのように軽快に歩いたり、歌を口ずさんだり・・・


村里の中心は「王妃の家」で、その2階のサロンから見える、フランスの形を描いている湖を見つめながら語り合ったこともあったし、物語りの中に登場するような、水車小屋までゆっくりと歩いて行ったこともあります。特に楽しかったのは、マルボローの塔から小舟に乗って、湖をまわったり魚釣りをしたこと。


王妃の家は2階建てになっていて、1階にダイニングルーム、2階に大きなサロン、ベッドがある休憩室、貴族夫人たちの小サロンがありました。村里の家に泊まることはなかったので、休息用のシンプルなベッドがあるだけでした。芝生の上で気軽にフォークダンスを踊ったこともあるし、プティ・トリアノンからハープを運んで奏でたこともあります。簡素な服装で田舎の雰囲気を味わうのは、この上もない喜びで、毎日のように行っていました。

人口の湖、周囲を囲む田舎風のいくつもの家。
ここは私のユートピア。

2階建ての王妃の家。
寝室は2階にありました。
大好きなパステルカラーの小さなベッド。
シンプルで、宮殿のよりずっと気に入っていました。
  

村里には大小合わせて12の家があって、それぞれに庭があり、野菜や果物も栽培していたので、その手入れをするのも楽しいことでした。そこで育つキャベツやカリフラワーなどの野菜や、リンゴ、ブドウをその場でいただくこともありましたが、宮殿でのお食事にも多く使用されていたのです。少し離れた所にある広大な牧場では、10頭の山羊、1頭の雄牛、雌牛は8頭、そのほかニワトリもたくさん飼っていました。搾りたての牛乳をいただいたり、酪農小屋でチーズの試食をしたり。


このように、村里での楽しい思い出はつきることはありません。それが崩れる日がやがて来たのでした。