2016年4月6日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 71


王妃は一日として祈りを欠かしたことはありませんでした。
マリー・アントワネットが遺書を書き終えたのは、10月16日朝4時をすこしまわった頃でした。
判決文

その後しばらくして、ロザリーが牢屋に入ってきます。この日で最後かと思うと彼女は心が痛むばかり。声を発することすらできませんでした。
やっとの思いで口を開き、王妃にブイヨンを勧めます。当初は断っていたマリー・アントワネットでしたが、ロザリーの優しさに打たれたのか、それでは少しだけと、スプーンを手にします。

血の気のない青白い顔の王妃は、ロザリーの手を借りながら、それまで着ていた黒い服を脱ぎ、白い服に着替え、その中に黒いスカートをはき、白いボンネットを被ります。それが彼女のこの地上での最後の装いでした。
支度が整ったその時、牢屋のドアが開き、革命裁判長エルマンを先頭に、数人が入ってきました。
エルマンが手にしていた判決書を読み上げようとすると、王妃はその内容をすでに知っているから、読む必要はないときっぱりと言います。

国王死刑執行人
シャルル・アンリ・サンソン。
王妃の死刑執行人は
その息子のアンリ・サンソン。

後は革命広場に向う支度ををするのみとなりました。
死刑執行人アンリ・サンソンが、大きなはさみを手に王妃に近寄り、荒々しくボンネットを取ります。王妃の髪の毛を無造作に切り、先ほどと同じように無造作にボンネットを頭に戻します。

その後、手を縄で縛られたマリー・アントワネットは、極悪犯罪人のような屈辱的な姿でした。それにもかかわらず、姿勢を正し、威厳を保ったまま監獄の外へと連行されていきました。

あれほど憧れていたコンシエルジュリーの外の光景。それを再び目にしたのが、この世とのお別れの直前だった王妃。
37歳の美しい盛りの高貴な人生が、快晴の空の下で終わろうとしていました。