2016年4月24日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 79

サン・ドニ教会に向うルイ16世とマリー・アントワネット。
ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された22年後の1815年1月18日朝8時。王政復古で王座に就いたルイ18世が派遣した代表団が、以前、マドレーヌ墓地だったデクロゾーの庭に向います。代表団には、アンリ・ダンブレイ大法官、ブラカ国務大臣のほか、医者、司祭などがいました。

その日、まず、王妃の遺骨発掘を行ないました。
緊張した視線を走らせる代表団が見守る中で、発掘が始まり、30センチほどの厚い生石灰の床に、木の破片が散らかっているのが見つかりました。続いて女性の骨の断片が見えてきました。頭はほぼ完璧な状態で見つかり、首が切られた跡も確認できました。

服の断片と2つの靴下止めも見つかりました。その靴下止めは王妃が捕われの身だったときに自ら作ったものでした。そこで見つかったすべてを、用意しておいた仮の棺に丁寧に保管します。

壮麗な葬儀行進
翌日朝、国王の遺骨を発掘します。
根気よく深く土を 彫り続けていると、男性の遺骨が見えてきました。両脚の間に頭をはさんでいたことから、ルイ16世の遺骨だと直ちに確認されました。このように埋葬されたのは、国王だけだったのです。
遺骨はすぐに確認できましたが、服は一切見つかりませんでした。遺体に大量の生石灰をまいたために、溶けてしまったと解釈されています。

王妃と同じように国王も仮の棺に保管され、お二人の棺はデクロゾーの館のサロンに安置されます。その後、複数の神父による長い祈りが始まりました。

1月20日、ルイ16世とマリー・アントワネットは、ルイ18世の依頼で運ばれてきた鉛の棺に移されます。棺はそれぞれ黒一色の布で包まれました。
フランス王家の墓、サン・ドニ教会。


1月21日、くしくも22年前の国王処刑の日、ルイ16世とマリー・アントワネットがサン・ドニ教会に向う葬儀行進が行なわれました。朝、デクロゾー家を離れたおふたりの棺は葬儀馬車に乗せられ、近衛兵、衛兵、憲兵、騎兵隊などに見守られながらサン・ドニ教会へと向かいました。その沿道には、おびただしい数の群集が詰め掛けていました。娘のアングレーム公爵夫人は姿を見せませんでしたが、オルレアン公爵夫妻、ベリー公、コンデ公、ブルボン公爵など、高位の貴族が多数参列しました。

 黒い布で包まれ、無数の蝋燭が灯されたサン・ドニ教会に到着すると、近衛兵がふたつの棺をおろし、内陣に用意された台の上に置き、ミサが始まりました。それは偉大なブルボン王朝の人にふさわしい、厳粛で格式高い立派なミサでした。