2019年4月17日

ノートル・ダム大聖堂 歴史に残る火災の翌日

4月16日、15時間に及ぶ消火活動によって鎮火された後ノートル・ダム大聖堂に向かいました。この歴史に残る出来事を自分の目で確かめたかったからです。

遠方に見えるノートル・ダム大聖堂。
一見いつもと同じ姿に思えます。

バスに乗りシテ島で降りるとすごい人の波に圧倒されました。ノートル・ダムが遠くに見える橋の上は隙間がないほどの人。皆、スマホやカメラを向けて今までと異なる姿をおさめるのに夢中。

大聖堂があるシテ島と学生街をつなぐサン・ミッシェル橋。
遠くに見えるノートル・ダムをカメラに収める人でごった返しています。

遠方から見た限りでは90メートルの尖塔がないだけで、ノートル・ダムはいつもの通り均整が取れた二つのの塔を見せていました。昨夜の燃え上がる炎の形跡はほとんど感じられないほど、静謐な姿。

ノートル・ダムに近づくに従って機動隊の車の数が増えます。

たくさんの人に足も体も取られながら、左岸をセーヌ川沿いに一歩一歩大聖堂に向かって行くと、警察の車が居並ぶ橋が見えてきました。その向こうはノートル・ダム手前の広場。もちろん通行禁止で近づけない。それで、左岸沿いに少しでも大聖堂を近くで見たいと、相変わらず人の波に何度も飲み込まれながら進みました。

ノートル・ダムを守るように警察の車が何台も待機しています。

見えてきました、見えてきました、ノートル・ダムの側面が。誇らしげに空高くのびる尖塔はすっかり姿を消していて、見慣れていた姿ではなかった。そのとき急に衝撃を受けました。体の一部をもぎとられたようなノートル・ダムは寂しそうでした。悲しそうでした。それでも凛とした姿を保っていることに、心は更に痛みました。いかに自分が傷つこうとも、人々のために残された力で立ち続けようとしているように感じられたからです。

美しいステンドグラスで人々の心を打つ大きなバラ窓と、
その上の黒ずんだ小さな窓を目にして、
昨日テレビ画面を通して見た、
あの激しい火災がほんとうの事だったのかと分かり,戦慄が走りました。
ステンドグラスの一部は破損したそうですが、
大部分が残っていると知って安堵しました。

行けるところまで行こうと意を決してさらに進むと、セーヌ河畔に出る階段が見えてきました。そこからだとノートル・ダムの側面全体が見えるのです。まさに絶好の場。その階段に座り込んでじっと大聖堂を見続ける若者がたくさんいて、河畔に着くまでも大変。やっと到着しさっそく記念撮影ではなく、記録撮影。

2019年4月15日の出来事を、翌日しっかりと心に留めました。

今回の消防隊の活躍は誰からも賞賛されています。消防隊員をフランス人は「火の兵士」と呼びます。何てステキな言葉。彼らは兵士のごとくに危険極まりない中に、勇気を糧としながら立ち向かう。この日も火の兵士たちの姿を見かけると、拍手で感謝の気持ちを伝える人がたくさんいました。

消防自動車はノートル・ダム周辺から離れず、
火の兵士たちは休むことなく忙し気に動いています。

大聖堂内に壁を飾っていた数枚の絵は燃えてしまったとはいえ、「茨の冠」そのほかの聖遺品、祭壇の十字架、18世紀の貴重なパイプオルガン、バラ窓、大理石の彫刻も彼らの活躍により難を逃れ、フランスの文化を守ったのですから、賞賛の意を表さないではいられないのです。空から放水すると一度に落ちる大量の水が大きなダメージを与えるので、それを故意に避けセーヌ川の水をホースで放ち続け、15時間後に火を消したのです。しかも負傷者さえも出さずに。伝統を、文化を大切にする国民ならではの知的な作業です。


夜、マクロン大統領はテレビで演説しノートル・ダム大聖堂の再建を、国民が一致団結して皆で実現するのだと語りました。5年以内にとさえ名言したのは、いかに早くフランス人の心の、魂のより所を取り戻したいかの現れです。


2019年4月15日は永遠に記憶に残る強烈な出来事があった日。ノートル・ダム大聖堂の激しく燃え上がる火は、フランス国民に愛国心の火を蘇らせたと思えてなりません。大企業からの高額な寄付金は後を絶つことなく続いているし、国民も金額にかかわらず寄付を続けるでしょうし、私もそれに参加します。


パリの歴史が始まったシテ島。そこに建築されたノートル・ダムはパリに暮らす人々の心のふるさとなのです。忘れえぬ大切な故郷です。