2019年5月19日

メトロの駅名は語る 124

Ségur
セギュール(10号線)

フランスの軍人フィリップ・アンリ・ド・セギュール侯爵の名を冠する駅名。

フィリップ・アンリ・ド・セギュール侯爵
(1724-1801)

ルイ15世の摂政を務めたオルレアン公フィリップ2世の孫にあたるフィリップ・アンリ・ド・セギュールは、ルイ15世とルイ16世の時世に軍人として活躍し、1783年には元帥になっています。

オルレアン公フィリップ2世の庶子の母と、
その孫。

父は有能な軍人セギュール公爵で、母はオルレアン公フィリップ2世の庶子でした。オルレアン公フィリップ2世は偉大な太陽王ルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世の子供で、ルイ15世が5歳で王の座に就いたときから摂政を務め、国王が13歳で成人になった1723年に摂政から宰相になっています。

父と母の間に4人の子供が生まれましたが、男児はフィリップ・アンリだけ。そのために父の期待が大きく、厳しい訓練を受け父が望むような立派な軍人になったのです。18歳でオーストリア継承戦争(1740-1748)に参戦し、戦争終結の前年に片腕を失う重傷を負います。7年戦争(1756ー1763)では捕虜になりますが、後に釈放され、その後も目立った活躍をしルイ16世の時代に軍事大臣になります。

ブルボン家の血をひく貴族だったために革命で捕らわれ、ラ・フォルス監獄に投獄されますが、運よく処刑を免れ革命後自由の身になりました。けれども全ての財産を没収され貧乏な生活を強いられます。

そうしたセギュール侯爵を救ったのは第一統領だったナポレオン・ボナパルトで、1800年から年金を支給され以前の裕福な生活を取り戻します。けれども残念なことに、その翌年の10月3日、77歳の生涯をとじます。

長男セギュール伯爵ルイ・フィリップ。
次男セギュール子爵
ジョゼフ・アレクサンドル・ピエール。

妻ルイーズ・アンヌ・ド・ヴェルノンとの間に二人の息子を持ち、それぞれセギュールを名乗ります。長男のセギュール伯爵ルイ・フィリップは軍人であり政治家であり、外交官、詩人、作家など幅広い活躍をします。弟セギュール子爵ジョゼフ・アレクサンドル・ピエールも軍人であり詩人でした。二人とも子孫に恵まれセギュールの名は継承されていきました。