2019年7月24日

メトロの駅名は語る 129

Cluny=La Sorbonne
クリュニー=ラ・ソルボンヌ(10号線)

クリュニー中世美術館とソルボンヌ大学の名を持つ駅名。

学生街サン・ミッシェルにあるクリュニー美術館は、1~3世紀にかけてロ-マ人がパリを支配していた時代に建築された膨大な大きさの浴場跡に造られた美術館で、中世の貴重な美術品を展示しています。

かつての大浴場。

ローマ人は温度が異なる3つのお風呂を楽しんでいました。熱いお風呂、ぬるま湯のお風呂、冷水と。浴場には回廊や運動をする部屋もあったそうで、おしゃべりや演説が好きなローマ人が大勢集まっていたのを想像すると、さぞかしにぎやかだったと思います。ほぼ6000m²あった当時の浴場のほとんどは姿を消しましたが、一部は現在でも残っています。

幾世紀もの歴史を刻む建造物がたとえ大きな破損を受けたとはいえ、21世紀でも見られることにローマ人の秀でたアイディアと技術に驚かないではいられません。実際、ローマ人の支配がなかったらパリの都市造りも異なっていたでしょう。

豪奢なクリュニー館。

国立クリュニー中世美術館でもっとも有名な
フランドルで織られた15世紀末のタペストリー。
6連の「貴婦人と一角獣」のひとつ。

浴場はその後何度か用途が変わり、13世紀、ブルゴーニュ地方で威勢を誇っていたクリュニー修道院院長のパリの別邸がその跡に建築され、クリュニーの名が館に付けられます。後期ゴシック様式で建築されたクリュニー館は豪奢で、1832年、中世美術に傾倒していたコレクターがその館に暮らすようになり、中世美術とクリュニー館は切っても切れない仲になりました。

            ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ソルボンヌ大学の前身は13世紀に創立された貧しい神学生のための学生寮で、カトリック教会から聖列され聖ルイ王と呼ばれるようになる信仰心厚いルイ9世の宮廷司祭であり、神学者のロベール・ド・ソルボンがその発案者だったために、彼の名を冠するようになりました。
ロベール・ド・ソルボン
(1201-1274)

中世までソルボンヌはローマ教王の庇護を受けていたカトリック大学だったのが、革命やナポレオンの時代の改革により大学制度が大きく変わりました。

1550年のソルボンヌ大学。

19世紀初頭のソルボンヌ大学前の広場。
現在も見られる建物と広場。

その後もパリ大学(全部で13もあります)の動きがあり、現在のソルボンヌは第1、第3、第4の3つの大学で校舎もそれぞれ異なる場所にあります。