2019年7月1日

メトロの駅名は語る 127

Sèvres-Babylone
セーヴル・バビロン(10、12号線)

セーヴル通りとバビロン通りの名を持つ駅。

18世紀頃から西郊外のセーヴル方面に向かう道路がパリにあり、何度か道路名が変わった末、最終的にセーヴル通りとなり、現在6、7、15区を横切る1500メートルの長い道路となっています。

パリから約10キロの距離にあるセーヴルには、6世紀からこじんまりとした村がありましたが、脚光を浴びるようになったのは18世紀。ルイ15世の愛妾ポンパドゥール侯爵夫人が、磁器製造所をヴァンセンヌからセーヴルに移した1756年のことです。セーヴルは国王の居城があるヴェルサイユと、ポンパドゥール侯爵夫人のシャトーがあるベルヴュ―の間にあり理想的だったのでしょう。

ポンパドゥール侯爵夫人が建築させた
セーヴル磁器製作所。

19世紀の立派な窯。
18世紀の華麗なセーヴル焼き。

彼女のイニシアティブで建築されたセーヴル磁器製造所は130メートルの細長い建物で、以前は農園だった土地に1753年から1756年にかけて建築されました。均整が取れた美しい姿を見せる建物の1階には原料が貯蔵され、2階では型作りを行い大きな窯がありました。3階は彫刻を入れたり修正する人たちの仕事場で、その上が画家や金箔師のアトリエでした。

セーヴルの牧歌的情緒がある絵。コロー作。

磁器製造所で製作された焼き物で世界に名を轟かせるようになったセーヴルでしたが、豊かな自然があり、ルソー、コロー、シスレーなど画家たちの好む町でもありました。

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バビロン通りはジャン・デュヴァル(1597-1669)司祭の名が起源になっています。彼は1638年からメソポタミア地方にあった都市バビロンの司祭を務めていたためにムッシュー・ド・バビロンと呼ばれていました。ベルナール・ド・サント・テレーズとも名乗っていました。語学に長けペルシャや小アジアにも趣き「東洋語の辞書」も手がけた識者でした。

17世紀半ばにパリ外国宣教会が設立されましたが、その際に大きな貢献をしています。この宣教会はアジアでの布教を目的としていて、1859年にパリ外国宣教会のセラファン・ジラール神父が横浜に、1863年にルイ=テオドル・フューレ神父が長崎に趣き布教にあたったのです。フューレ神父の指導の元に長崎に大浦天主堂の建築が始まり、その後を引き継いで1865年に完成させたのはベルナール・タデ・プティジャンで、ともにパリ外国宣教会の神父でした。

1663年にバビロン通りとバック通りの角に設立されたパリ外国宣教会。
アジアに多くの宣教師を送り、カトリック布教に偉大な貢献を成しました。
現在も入り口はバック通りにあります。


1881年、日本の南での宣教師と神父たち。

パリ外国宣教会で教えも説いていたムッシュー・ド・バビロンことジャン・デュヴァルが、現在バビロン通りとなっている地にいくつかの家を持っていたために、この名が付けられたのです。イヴ・サンローランが38年間住んでいた邸宅もバビロン通りにありました。

このセーヴル通りとバビロン通りが交差する場所にあるのが、メトロのセーヴル・バビロン駅で、ラスパイユ大通りもそこに加わっているために、常に賑わいを見せています。パリ最古のデパート、ボン・マルシェや左岸唯一のデラックスホテル、ルテシアもこの駅から最短距離です。