2019年12月26日

ノートルダム大聖堂 クリスマスミサは中止

ノートルダム大聖堂でのクリスマスミサを受けるために、外国人も含めて毎年多くの人が足を運びますが、今年は4月15日の火災による修復作業のために執り行われませんでした。これは、火災と同じように歴史に残る出来事です。何しろ、ノートルダムでクリスマスにミサを行わないのは216年ぶり。カトリック教徒が多いフランスでは、世界大戦の間でさえもミサがあったのだから、これは異例の事です。

火災が起きた翌日に興奮しながらかけつけて、撮影しました。

216年前といえば、革命で全国の教会がことごとく荒らされ、その後、非キリスト教化運動が進み、神を崇めることを禁止していた時代です。その運動に燃えるような情熱を注いでいたのは、過激な革命家ジャック・ルネ・エベール。彼は神の代わりに理性を崇拝すべきだと唱えていたのです。1793年11月10日に大聖堂で「理性の祭典」さえ行っています。

1793年にノートルダム大聖堂で行われた「理性の祭典」。
山やギリシャ神殿、川まで造られ、
女優が自由と理性を表す女神に扮して登場する祭典でした。

大聖堂を本来の姿にしたのはナポレオンです。彼は1804年12月2日、皇帝になる戴冠式をノートルダムで執り行うことにし、そのために革命で荒らされた建物の復旧を命じ、そこでローマ教王列席のもとに華麗なセレモニーを繰り広げます。とはいえ時間が充分なかったので、木でゴシック様式の入り口を造らせたのです。

サンジェルマン・ロクセロワ教会。

今年ノートルダムでミサが行われず、代わりに選ばれたのがルーヴル美術館近くのサンジェルマン・ロクセロア教会。実はこの教会に、あの劇的な火災の難を逃れた聖母子像があるのです。

12世紀からの歴史を刻んでいるフランス人の心のより所の大聖堂が、激しい炎に耐えられず、屋根も尖塔もあっけなく崩れ落ちた時には、多くの人が意気消沈しました。ところが、大聖堂の中に積み重なっていた瓦礫の山の中から、ある日、14世紀に創作された聖母子像が見つかったのです。しかも無傷。あれほどの火災に聖母子像は打ち勝った。それを知った時、フランス中がこれこそ奇跡だと大感激したのです。ノートルダムは「私たちの貴婦人」という意味で、イエス・キリストの母である聖母マリアを表しているので、その像が無傷だったことは大きな喜びであり、心に計り知れないほどの糧を与えたのです。

火災の難を奇跡的に逃れた、
ノートルダム大聖堂の14世紀の聖母子像。

火災前、ノートルダムの祭壇右手の柱の前に
飾られていました。
サンジェルマン・ロクセロワ教会でも同じように、
祭壇右に聖母子像を置いています。

現在その貴重な像は、サンジェルマン・ロクセロワ教会の祭壇右手の柱の前に置かれていて、多くの人がキャンドルを捧げています。聖母子像がいつまでこの教会で人々を見守っているか分かりませんが、これほどまじかで見られるのは大変貴重なことです。ノートルダムの修復がある程度進んだら、あるいは終わったら、以前の場所に戻ることでしょう。