2025年9月3日

マリー・アントワネット自叙伝 56

 廃止された王政


ランバル公妃が悲劇的最期を閉じた後も、貴族や聖職者、反革命派が怒り狂った暴徒たちに殺され、犠牲者は一万人を超え「9月虐殺」と歴史に書かれることになるのです。

亡命していた2人の義理の弟と、夫の従兄コンデ公が結束し、それにオーストリア軍、プロシア軍が加わった連合軍が各地で勝利を得ていたという情報に、私たちは希望を抱いていました。間もなく革命軍が大敗し、タンプル塔から出られる日が来ると確信していました。


ところが9月20日のヴァルミーの丘での戦いが、国の、革命派の、そして私たちの運命を大きく変えたのでした。

ヴァルミーはフランスの東北部にある小さな村で、そこでの戦いの勝利は連合軍にあると誰もが信じていました。何しろ連合軍の総司令官は、57歳のブラウンシュヴァイク将軍で、数々の戦いを勝ち取った経験豊富な名戦術家。兵士たちも熟練の人ばかり。それに反して革命軍は、戦争の経験が乏しい寄せ集めの人がほとんど。でもその総司令官はデュムーリエ将軍で、ジャコバン派の有能な闘志で戦争で功績もなした人でした。

ヴァルミ―の戦い。1792年9月20日。


9月20日、ヴァルミーの丘で陣を構えていた革命軍襲撃のために、連合軍は進んで行ったのですが、数日間降り続いた雨で、そこに着くまで重い大砲を引きずりながら、ぬかるみの中を歩かなければならなかったし、それ以前の度重なる戦いで、兵士たちは疲れ切っていたのです。

革命軍は確かに戦力は劣っていたようですが、強い精神力の持ち主ばかりで大声て気勢をあげていました。

「国民バンザイ !

「国民バンザイ!

その狂ったような叫び声は、敵をひるませるほどの殺気に満ちていたのです。

もともとこの小さな戦いに乗り気でなかったブラウンシュヴァイク将軍は、今まで経験したことがない、奇妙な集団兵を前にしてあっけなく戦闘心を失い、休戦交渉を受け入れ、軍に退却を命じたのです。あまりにも簡単に退却したので、連合軍の貴族たちは、ブラウンシュヴァイク将軍が敵に買収されたのではないかと疑ったほどでした。


ヴァルミーの戦いは実戦というより、革命精神による革命軍の勝利と見られています。戦いは小さかったけれど、革命軍最初の勝利で国中が喜びにわき、21日、議会は王政廃止と共和制樹立を宣言します。


国民公会による王権廃止宣言の議事録

何世紀も続いた王政が終り、
今後は国民が主導権を握る共和制になると、
議会で高らかに宣言されました。

連合軍側のワイマル公カール・アウグストに随行していた詩人ゲーテは、後年に綴ったそうです。

 「この地から、この日から、世界史の新しい時代が始まる」

 

ドイツの偉大な詩人、作家のゲーテ。

王政が廃止され、共和国になったフランスでの私たちは、国王一家ではなくなり、22日から夫はルイ・カペーと呼ばれるようになったのです。今後、何が私たちに降りかかるか想像すらできず、暗い塔の中で打ちひしがれていました。