2015年1月1日

魅力いっぱいのシナイ半島

岩山が続くシナイ半島。

岩、岩、そしてまた岩。赤味を帯びた岩山が果てしなく続いている。植物らしきものは何も見えない。人が住んでいる気配もない。動物の姿もない。あるのは岩だけ。

シナイ半島が眼下に見えてきたとき、地球の不思議と自然の偉大さに圧倒され、身震いを抑えきれないほどの感動でした。


これほど荒涼とした地がパリと同じ惑星にあるなどと、とても信じられない。
こうした地だからこそ神の声が聞こえたのだろうか。

モーセがイスラエルの民を連れてさまよっていた旧約聖書の時代から、何も変わっていないように思える。
このシナイ半島では、時はその時代から止まったままになっているとしか思えない。

荒涼とした世界をラクダに揺られながら
じっくりと味わう。
モーセが神の声を聞き、十戒を授かったと言われている地に到着するまでの道のりも、厳しい表情の岩山が果てしなく続いている。

時々木が見える。でもやせ細って元気がない。ノドが乾いているのにちがいない。そう思うと可愛そうになる。ここに一本、すこし進むとまた一本という具合に立っている。その光景に胸が寂しさでいっぱいになる。

岩山はときには赤っぽく、ときにはうっすらとピンクがかって見える。四方を見渡して目に入るのは、相変わらず岩山。
自然の厳しさが骨の中まで響いてくるよう。
こうした荒涼とした地が続いているのを見ると、
人の成すことがちっぽけなものに思えてくる。
ここでは目に見えないながらも、偉大なものの力が感じられて仕方ない。

モーセゆかりの地に建築された聖カタリナ修道院
6世紀に建築された世界最古のキリスト教修道院。
モーセはある日シナイ山に登り、40日間そこにひとりで閉じこもり、
十戒を神から授かったと言われている。
これほど荒涼とした厳しい自然の真っ只中で、他に何の声があるというのだろうか。
全能の神のみを信じ、すべてを委ねたいと思うのも不思議ではない厳かさが、風景とその界隈の空気の中にあるように思えます。
忘れがたい子供たち。



岩山の上に立って四方を見渡しても、目に入るのは自分が立っているのと同じ岩山のみ。まるで地球の上で取り残されたような感覚。生き物の息吹が皆無の世界。時は止まっている。ほんとうに時はここには存在していない。

聖カタリナ修道院界隈の厳しい自然に心身が緊張した後、帰り道で出会った子供たちの姿がどれほど貴重に思えたことか。

彼らの素朴な服装、人懐っこい笑顔が、まるで太陽のように体の隅々まで温かさを届けてくれる。彼らがこの地でとても幸せなのだと感じられたのは、私自身にとっても幸せなことでした。




高級なホテルや別荘、
ショッピングセンターが
並ぶナーマ・ベイ。
世界でもっとも美しいと言われている紅海は、混じりけがまったくない紺碧の海。本物の海を初めて見た思い。
南端のシャルム・エル・シェイクやナーマ・ベイには高級ホテルが立ち並び、ダイビングのメッカと言われているだけあって、世界中からダイバーが集まります。
私はダイビングはしなかったけれど、
半潜水艦に乗って紅海の底を探検。
一面に広がる珊瑚に圧倒されたり、様々な魚と泳いでいるような錯覚を起こし、幸せ度最高。

シャルム・エル・シェイク周辺の町もいくつか訪問。別荘が立ち並び、ショッピングセンターもあり、それでいてかなたに厳しい岩山がそびえている。そのコントラストは忘れえぬ光景です。
地球がいかに広いか、そして私が知っているのはわずかな地だけなのだと、改めて感じた実り多い旅でした。
もっともっと地球を見た~い。

シナイ半島でクリスマスと一年の終わりを過ごすのは、
とても意義あることだと心から思っています。
              
ラクダに本格的に乗ったのは初めて。
最初はあまりにも背が高いので悲鳴をあげたほど。