2016年12月9日

メトロの駅名は語る 16

Père Lachaise
ペール・ラシェーズ (2,3号線)

ルイ14世の告解師だったラシェーズ神父。
著名人が多数葬られているペール・ラシェーズ墓地を訪れる人は、一年中あとをたたないそうです。
画家のダヴィッド、ドラクロワ、コロー、モディリアーニ、作家のモリエール、プルースト、コレット、作曲家ショパン、歌手エディット・ピアフ、イヴ・モンタン・・・・まぶしい人ばかりです。

ペール・ラシェーズは「ラシェーズ神父」という意味で、ルイ14世から信頼を受けていた告解師でした。
彼は日本にキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルらが、モンマルトルの丘で創立したイエズス会に属していました。

17世紀、イエズス会所有の広大な敷地と館。
ここにラシェーズ神父さまが暮らし、生涯を閉じました。
17世紀にこの界隈の広大な土地をイエズス会が買い、館を建築し、そこに暮らしていたひとりが国王告解師ラシェーズ神父だったのです。彼は1709年に亡くなるまでの34年間をここで過ごしていました。

1815年の墓地。
優雅な散策の地になっていました。
革命後、パリの中心地からすべての墓地を移転することが決定され、かつてイエズス会に所属していた地に墓地が作られることになったのです。
1804年5月21日、ナポレオンの時代にペール・ラシェーズ墓地がオープンし、最初の埋葬が行われます。5歳の小さな生涯を閉じた女の子でした。

イギリス庭園様式が取り入れられた、木々が自然の香りを漂わせる墓地は、憩いの場のような散策を楽しめる地となったのです。

一年中献花がたえない
「ピアノの詩人」ショパンのお墓。
彼はパリで生涯を閉じ、
マドレーヌ教会で葬儀がおこなわれました。
ペール・ラシェーズ墓地に葬られのは彼の遺言でした。
墓地は著名人だけでなく、 多くの一般の人も永遠の眠りについています。
それこそナポレオンが希望していたことでした。
「すべての市民は、人種、宗教に関係なく葬られる権利がある」
執政として国を治めていたナポレオン・ボナパルトの布告です。