2017年5月11日

メトロの駅名は語る 40

Saint-Germain-des-Prés 
サン・ジェルマン・デ・プレ

初期のゴシック建築を取り入れたサン・ジェルマン・デ・プレ教会の界隈は、17世紀から知識人が好む場となり、後年にメトロ名になり、地域の名になり、文芸人のたまり場として栄えました。

1618年のサン・ジェルマン・デ・プレ大修道院。
サン・ジェルマン・デ・プレ教会の前身は大修道院で、その歴史は驚くほど古く558年に建築。当時の国王キルドベルト一世が聖人ヴァンサンの衣服を入手し、それに捧げるために王家の大修道院を建築させたのです。
パリ司教サン・ジェルマン。
パリ北郊外にある王家の墓サン・ドニ大教会が生まれる前は、この大修道院に王家の人々が埋葬され、キルドベルト一世もここに葬られました。
当時のパリ司教だったジェルマンが576年に世を去りそこに葬られ時に、修道院はン・ジェルマン・デ・プレと命名されます。

革命で大修道院は破壊され付属教会のみ残り、それが現在見られるサン・ジェルマン・デ・プレ教会です。
1925年のサン・ジェルマン・デ・プレ界隈。
1880年になると、教会がすぐ近くに見える絶好の場所にブラスリー・リップが、1885年にはカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・ドゥ・フロールが生まれ、時と共に著名な文学者や芸術家のたまり場となり、キラ星のような輝きを放つようになったのです。

バルザックのお墓の前に立つ、
サルトルとボーヴォワール。
哲学者のサルトルやボーヴォワールを中心として、実存主義について熱気に満ちた議論をたたかわせていたのもサン・ジェルマン・デ・プレ界隈でした。

サン・ジェルマン・デ・プレの女王だった
歌手で女優のジュリエット・グレコ。1972年。
黒髪のエキゾティックな容姿と独特の歌い方、知的会話で文芸人を魅了し、女王的存在だったジュリエット・グレコは今90才。 カフェ・ドゥ・マゴやカフェ・ドゥ・フロールの椅子に座って、サルトルやボーヴォワールを語り、グレコの歌を口ずさみながら当時を思い浮かべるのもパリらしくていいものです。