2018年1月17日

メトロの駅名は語る 70

Picpus
ピックピュス(6号線)

この界隈にあった村の名前が起源とされています。

16世紀半ばに若い女性や子供たちが、蚊に刺されたような皮膚病で悩まされ、その治療をこの地に住む僧が治療していたために、ピックピュス(ピックは刺す、ピュスは蚤)と村が呼ばれるようになったと伝えられています。

サン・トーギュスタン修道会の修道女。
その後、いくつもの修道会が居を定めるようになります。そのひとつがサン・トーギュスタン修道会。病人の世話を積極的におこない、ノートル・ダム大聖堂のすぐ近くにあるホテル・デュー病院でも看護につくしていました。ホテル・デューは「神の館」という意味の病院です。

革命が起きるとサン・トーギュスタン修道会は追い払われ、1794年、パリ市の墓地になり、貴族、聖職者、一般市民など約1300人の革命犠牲者が埋葬されました。

その後墓地が売りに出され、数人が分割して購入し、革命の時代から姿が大きく変わりますが、ピックピュスという墓地名はそのまま残ります。
ピックピュス墓地のラファイエットのお墓。
アメリカ独立戦争の英雄なので、アメリカの国旗が捧げられています。
アメリカ独立戦争で活躍した侯爵の称号を持つラファイエット将軍も、このピックピュス墓地に眠っています。

アメリカが独立戦争を起こすと、19歳のラファイエットの若い血は騒ぎ、自費を投資して義勇兵を引き連れ、船でアメリカに渡りで活躍します。
1777年のペンシルヴァニアでの戦いで銃弾を脚に受けて負傷。
その戦地から彼がフランスに持ち帰った土をお墓に入れてあるそうです。

ラファイエット将軍をマウントバーノンの自宅に招待した
アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントン。
アメリカ初代大統領になったジョージ・ワシントンの信頼を全面的に受けたラファイエット。アメリカ独立記念日の7月4日には、ピックピュスのお墓でセレモニーも行われます。

フランス革命の際には国民衛兵司令官に任命され、青、白、赤を兵士たちの徽章にし、それが後年にフランスの国旗になっています。

ラファイエットはアメリカ独立戦争とフランス革命で活躍したために「両大陸の英雄」と呼ばれていました。