2018年10月25日

メトロの駅名は語る 103

Michel-Ange・Molitor
ミケランジュ・モリトール(9、10号線)


イタリア・ルネッサンス期の偉大な彫刻家であり画家、建築家ミケランジェロと、18~19世紀を生きたフランスの軍人モリトールにちなんだ駅名。

ミケランジェロ(1475-1564)

ミケランジェロはレオナルド・ダ・ヴィンチのようにフランスに暮したことはありませんでしたが、ルーヴル美術館に展示してある二体の奴隷像が、フランスとのつながりを語っています。


「瀕死の奴隷」


「抵抗する奴隷」

ルーヴル美術館の「ミケランジェロ・ギャラリー」でひときわの光彩を放っている「瀕死の奴隷」と「抵抗する奴隷」は、教皇ユリウス2世のお墓のために制作を始めましたが、完成前に教皇が世を去ります。結局、教皇ユリウス2世のお墓にはミケランジェロ作のモーセの像が飾られます。未完成の二体の奴隷像は、ミケランジェロの友人でフランスのリヨンに亡命していたロベルト・ストロッツィ男爵にプレゼントされました。

パリの北郊外の美しいルネッサンス様式の
モンモランシ―元帥のシャトー。
シャトーの正面を飾っていた奴隷像。

ストロッツィ男爵はルネッサンスに傾倒していた当時のフランス国王フランソワ1世に、奴隷像を献上。その息子アンリ2世がモンモランシ―元帥に寄贈し、彼のルネッサンス様式の美しいエクアン城のファサードを飾っていました。

ルーヴル美術館でひときわの輝きを放っている
「抵抗する奴隷」と「瀕死の奴隷」

二体の奴隷像の旅はその後も続き、1632年、モンモランシ―元帥からリシュリュー枢機卿の手に渡り、枢機卿のパリ近郊のシャトーに置かれていました。それが枢機卿のパリ中心の広大な館、現在のパレ・ロワイヤルに移され、1792年、フランス革命の際に没収され、ルーヴル美術館に展示されることになったのです。

ガブリエル・モリトール(1770-1849)

モリトールはフランス革命最中の1791年に軍人としての活躍を始め、革命を非難したオーストリア軍相手のライン地方での戦闘で目覚ましい業績をあげます。

ナポレオン時代にはイタリア遠征に参加し、1806年、現在のクロアチアのダルマチア地方にあったラグサ共和国征服に大々的に貢献。1807年にはバルト海で勢力をふるっていたスウェーデン軍に打撃を与えます。

いくつもの輝かしい業績を残したモリトール。
ナポレオンが流刑されていたエルバ島から脱出し、フランスに帰還した後の戦いでも秀でた軍人の輝きを発揮。

その後ルイ・フィリップの立憲君主制の時代にも活躍をし、アンヴァリッド総督になります。その名誉ある地位をナポレオンの弟、ジェローム・ボナパルトに譲り、ナポレオン皇帝が創設したレジョン・ドヌール賞勲局総裁の役職に就いたのでした。

19世紀半ばのレジョン・ドヌール宮。

79歳の起伏に富んだ人生をパリで終えた元帥モリトールは、アンヴァリッドに葬られました。