2019年2月11日

メトロの駅名は語る 115

Voltaire
ヴォルテール(9号線)

パリで生まれパリで生涯を閉じた、世界的に名をなしている哲学者であり文学者。本名はフランソワ=マリー・アルエで、パリの裕福な家に生まれています。18世紀は「ヴォルテールの世紀」と呼ばれるほど、様々な分野で活躍しました。

ヴォルテール(1694-1778)

若い頃から詩を出版していましたが、政府や貴族への批判も多い内容で、それがもとで2度もバスティーユ監獄に送られます。釈放後ロンドンに渡り、絶対王政のフランスと異なる立憲君主政の自由な思想にふれ、感化を受けます。

バスティーユ監獄でも書き続けていたヴォルテール。

帰国後再び政府批判を開始し、書物も手掛けます。このころの代表作が「哲学書簡」で、いかにイギリスの自由主義や政治が素晴らしいか賞賛ばかりしているので、フランスで発行禁止になったばかりでなく、愛国者の怒りの対象になり国外に逃れたほどでした。けれどもヴォルテールの名は啓蒙思想家として広がります。

啓蒙主義者のプロセイン王フリードリヒ2世に56歳のときに招待され、大歓迎を受けしばらくプロセインに暮らし、フリードリヒ2世の侍従を務めたこともありました。フランス語に精通し哲学書も執筆した博学の王でしたが、ヴォルテールと意見が合わず衝突することも度々あり、3年後にヴォルテールはプロセインを離れ、それ以降スイスに居を定めます。
 
プロシアのフレデリック2世とヴォルテール。
フレデリック2世お気に入りのサンスーシ宮殿の
ヴォルテール専用の部屋で。

サンスーシ宮殿での会食。
華やかなロココ装飾の宮殿にふさわしい、豪華な食事。
正面がフレデリック2世で、そのひとりおいた左がヴォルテール。

フリードリヒ2世と犬猿の仲だったロシアのエカテリーナ二世も熱心な啓蒙主義者で、ヴォルテール亡き後、彼の蔵書と草稿を購入したほどでした。

ヴォルテールが手掛けた戯曲「イレーヌ」がパリで上演された1778年に祖国に戻り、歓迎されましたが、体調を崩しその年に83歳で世を去りました。

1791年7月11日、亡くなってから13年後、
パリのパンテオンに遺骸が移されました。

ヴォルテールの大作のひとつ「ルイ14世の世紀」は私の愛読書で、重要な資料として何度も手にしています。