2019年2月20日

カール・ラガフェルド、偉大な死


カール・ラガフェルドの多岐にわたる才能は、今更改めて言うことではないけれど、彼のシャネルへの貢献は、世界のモードの中心がパリにあることを世界に知らしめた重要なことだったと思います。

1971年にココ・シャネルが没し、その後長年停滞していたシャネルを見事に蘇らせたのはカール・ラガフェルドでした。1983年に主任デザイナーに就任してから2019年まで36年もの間、コレクション発表ごとに女性たちを美の世界に導き、憧憬を抱かせ、女性に生まれ装う喜びを与えてくれた「モード界の帝王」が2月19日、85歳の生涯を閉じました。

今年1月のオートクチュール発表の際に、フィナーレに姿を現さなかったので、カールが病気ではないかと噂が飛び交いました。メゾンは単に彼は疲れてるからと説明し、彼の右腕として長年傍らでクリエーションに貢献していたヴィルジニー・ヴィアールがひとりであいさつに立ったときから、彼女が次期主任デザイナーになるのではないかと、これも関心を呼んでいました。

カールが亡くなった19日、メゾンは直ちにヴィアール採用を発表しました。シャネルのイメージは今後も彼女の指揮のもとに守られていくことでしょう。シャネルはシャネルなのです。デザイナー交代劇があろうとも、メゾン創立者ココ・シャネルのDNAは忠実に引き継がれていくのです。

カール・ラガフェルドが亡くなって、モードが、少なくともオートクチュールが、新しい時代に入るような気がしてなりません。