チュイルリー 宮殿襲撃の日
数日前から、群衆が何か事を起こそうとしている気配がしていたので、チュイルリー宮殿には、万が一に備えてスイス兵900人、国民衛兵2000人、貴族志願兵300人が配置され、大砲も設置されていました。
じっくり眠ることのできない日が続いていた8月10日、とても暑い日の早朝、3時か4時ころ、教会の鐘の音が聞こえてきました。
何か重要なことを知らせるときには、鐘を鳴らす習慣があったのですが、気になったのは次々と鳴り響いたことです。まるで、計画の実行に移る合図のように、鐘の音には激しさが加わっていました。
そのうち、太鼓の音も響いてきました。もう間違いありません。パリの要所要所に集まった群衆たちが、一団となって宮殿に向かうのです。数1000の兵が守っているとはいえ、不安が一挙に増しました。
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衛兵たちを鼓舞する夫。 でも、説得力はなかったようです。 |
夫は前日からほとんど眠っていなかったために、目が腫れ、どんよりした瞳を落ち着きなく動かしながら、ふらふらした足て衛兵たちを鼓舞するために閲兵に向かいました。夫は極度の近眼なので、長い階段をおりるときに転ばないかと私は心配しましたが、無事に衛兵の前に着きました。
立派な軍服で身を包み、引き締まった顔で居並ぶ衛兵たちの前で、夫は国王らしく、説得力のある言葉をかけると思っていたのです。
ところが、その内容はあまりはっきりしていなかったらしく、しかも急いで被った鬘が乱れていたし、グレーの服を着ていたので、王の権威が感じられなかったのでした。
その惨めな姿に失望した衛兵たちの中には、「国王バンザイ」のかわりに、「国民バンザイ」という声を上げた人がいたほどでした。それだけでなく「拒否権を倒せ」「太ったブタを倒せ」という叫び声を上げる兵士もいたのです。その時点で国王側から離れ国民側についた人もいたようです。侮辱された夫が部屋に戻ってきたときには、夫だけでなく私も血の気を失いました。
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宮殿に押しかける群衆の数は、みるみる内に増え、 小競り合いもあちこちでありました。 |
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銃や斧だけでなく、 大砲まで引きずってきたのです。 |
すでにそのころには、群衆の動きが危険極まりないことは空気でわかりました。どうすればいいのかと夫はうろたえていましたが、私は護衛や大砲もあるのだから、大した武器を持っていない群衆と戦えば勝利を得られると信じていました。もうこれ以上黙っていられなった私は
「いよいよ国王が勝つか、過激分子が勝つかの時が来たのです」
と、思っていたことをはっきりと告げました。
7時ころ、信じられないほど多くの群衆が、武器を手に宮殿に向かっているとの情報が入りました。
「陛下、5分も無駄にはできません。もっとも安全な場所に移らねばなりません。それは議会です。そこ以外に考えられません」
絶望的な声をあげたのは、夫の相談役のパリ県知事のレデラーでした。
「でも、私たちには兵力があるではないですか」
戦うべきだと思った私は声を上げました。ところが、それを聞いたレデラーは反発したのです。
「すべてのパリ市民が大挙して宮殿に押し寄せているのです」
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群衆は宮殿を守っていたスイス兵を容赦なく襲い、 恐ろしい叫び声が宮殿内にまで響いてきました。 |
その後、レデラーは再び夫に向かって
「陛下、もはや時間がないのです」
とくり返しました。その言葉に夫はうなずき、私に「行こう」と無表情で言いました。
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群衆は武器をかざしながら宮殿内に入り込み、 そこでも忠実なスイス兵との戦いがありました。 |
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血走った群衆は奇声をあげながら 宮殿を走り回っていたのです。 |
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戦場と化した由緒ある歴史を誇るチュイルリー宮殿。 |
議会はチュイルリー宮殿から徒歩で行ける距離だったのです。もはや説得の余地もないと悟った私は、夫の言葉に従う他ありませんでした。
夫の後ろに娘と息子の手を握った私が続き、その後ろに義理の妹、ランバル公妃、トゥルゼル夫人、数人の大臣が続いて無言のまま議会へと向いました。宮殿から離れる際に私は
「すぐに戻ってきますから」
と貴族や衛兵に声をかけました。そのときはそれを心から信じていたのですが、ああ、何てことでしょう、その日以来、二度とチュイルリー宮殿に足を入れることはなかったのです。1792年8月10日朝でした。
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