2025年6月11日

マロニエの実がいっぱい

 数日前までは暖房をいれていたのに、急に気温が上がったパリ。温度差が激しいから、着る物の変化も激しい。コートを着た次の日に夏服ということが結構多い。ほんとうに気まぐれなパリ。

我が家のゼラニュームが満開で、毎日見るのが楽しいけれど、公園のマロニエもどんどん実がなって、それを見るのも嬉しいこの頃。今の時期にぴったりの若い緑色の実は、何だか明るい未来を象徴しているようで、心が浮き立ちます。

生まれて間もないマロニエの実。


全てのマロニエの木に実がなっていて、
あたりの空気が清々しい。

マロニエがはじめてパリに姿を見せたのは1615年。現在のイスタンブールがコンスタンチノープルと呼ばれていたルイ13世の時代で、あるフランス人(名前は不明)がコンスタンチノープルからマロニエを持ち帰り、14世紀に建築されたスービーズ侯爵邸の庭に植えたと記録されている。

パリ中心にあるチュイルリー宮殿の庭園に植えられたのは1670年で、ルイ14世の時世。国王のお気に入りの造園家はル・ノートル家で、3代にわたってチュイルリー宮殿の庭園を手がけている。3代目のアンドレ・ル・ノートルはチュイルリーにあったル・ノートル家の館で生まれ、そこで生涯を閉じている。このように、かなり優遇されていた家族だった。
マロニエをこの庭園に植えたのは3代目のアンドレ・ル・ノートルで、彼が57歳の時だった。主に花壇を手がけていた祖父や父と異なり、アンドレは庭園の設計も任されていた。後の名はヴェルサイユ宮殿にフランス式庭園を実現した時から、一挙に世界中に広がる。
春に愛らしい花を咲かせ、その後実がなり、秋には栗をたくさんつけるマロニエは、多くのパリジャンを魅了し、1870年、ナポレオン3世の第二帝政時代に実施されたパリ大改造以来、街路樹の80パーセントはマロニエになったほど。
マロニエの絵で最も感動的なのは、ゴッホの「花咲くマロニエの枝」。
1890年5月末の作品で、この絵を描いた2か月後に自殺。絵を描いたのも生涯を閉じたのもオヴェール・シュル・オワーズだった。
ゴッホ作「花咲くマロニエの枝」

マロニエの木を見るたびに、この絵を思い出す。描かれた花が清らかで美しいだけに、胸が締め付けられます。