ナポレオン1世が皇帝になった1802年につくらせ、常に身元に置いていた剣が4月に競売にかけられ、466万ユーロで落札され、その記録的高値は世界を驚愕させた。ナポレオンの息吹がかかった品がオークションにかけられる度に、世界中から入札があり、いつも大きな話題になる。これほどの熱気を呼ぶのは、他にはマリー・アントワネットしかいない。ただ、彼女の場合はジュエリーがほとんど。
このようにナポレオン・ボナパルトの名は格別な威力を持っているが、それほどの人物の弟の子孫がアメリカに暮らし、ルーズベルト大統領の時代に活躍し、歴史に名を残していることはあまり知られていない。
アメリカ合衆国の国内治安維持を担う捜査局が、現在のFBI(連邦 捜査局)と改名されたのは1935年。その前身となる捜査局BOIは1908年に創設されていた。それは、ルーズベルト大統時代の司法長官チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトの業績だった。彼はナポレオン1世の末弟ジェローム・ボナパルトの孫にあたる。
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FBI創設者 チャールズ・ジョゼフ・ボナパルト 1851-1921 |
ジェローム・ボナパルトは兄ナポレオンの驚異的成功のおかげで、かなり裕福で優遇された環境で育つ。兄の勧めで海軍に入り、アメリカのボルチモアに滞在中の1803年に、富豪の商人の娘エリザベス・パターソンと出会い、半年後にスピード結婚。けれども、野心の固まりのナポレオンに激怒され、強制的に離婚させられる。理由は未成年のジェロームが親の同意なしで結婚したからだとされているが、実際には、ナポレオンはヨーロッパの王族との結婚を望んでいたのだった。政略結婚により、自分の、フランスの価値を高めたかったのだ。
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ナポレオン1世の末弟 ジェローム・ボナパルト 1784-1860 |
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その妻エリザベス・パターソン 1785ー1879 |
弟の懇願など受け付けないナポレオンが決めた結婚相手は、ヴュルテンベルグ王国の王女カタリーナ。その後、ジェロームは兄によってヴェスト王国の国王に就任。ナポレオンのモスクワ遠征、最後のワーテルローの戦いにも参加する
ナポレオンが戦いに敗れ、皇帝を退位し流刑されると、妻の実家ヴュルテンベルグに逃れる。その後ナポレオン・ボナパルトの甥ルイ・ナポレオンが大統領、引き続き皇帝に就任した時代にフランスに戻っていたジェロームは、数々の重要な役職に就き、75歳の長い生涯を閉じた後、兄と同じアンヴァリッドに埋葬された。
ジェロームの最初の妻エリザベス・パターソンは、夫の兄ナポレオンの皇帝になる戴冠式に出席するためにフランスに向かう。ところが二人の結婚を認めていないナポレオンは、無常にも彼女のフランス上陸を禁止する。当時子供を身ごもっていた彼女は、イギリスに向かい1805年7月1日に、男児を出産する。
ジェローム=ナポレオン・ボナパルトと名付けた息子とバルチモアに戻ったエリザベスは、そこで裕福な生活を送り、生涯を閉じ、その地に埋葬される。ボナパルト家の支流がアメリカにあることに、ナポレオンは関心を抱いていたようで、甥を育てるエリザベスに充分な年金を払っていた。
![]() ナポレオン1世のアメリカ人の甥 |
ジェローム=ナポレオン・ボナパルト 1805-1870 |
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その妻となったスーザン・メイ・ボナパルト 1812-1881 |
息子ジェローム=ナポレオン・ボナパルトは、ナポレオン皇帝失脚後フランスに渡り、祖母をはじめとする家族に会い、スイスで教育を受ける。その後アメリカに戻りハーヴァード大学で学ぶ。バルチモアの富豪の娘スーザン・メイ・ウイリアムズと結婚し、2人の息子に恵まれ、その次男がFBIを創設したチャールズ・ジョゼフ・ボナパルト。
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若い頃のチャールズ・ジョゼフ・ボナパルト |
バルチモアで生まれたチャールズはハーヴァード大学で法律を学んだ後、故郷に戻り弁護士として活躍すると同時に政治家としても名を成す。そうした活躍がセオドア・ルーズベルト大統領に認められ、1906年に司法大臣に任命される。後にFBIと改名される連邦捜査局の前身を彼が創設したのは、それからわずか2年後の1908年7月26日だった。コレラで70歳の生涯を閉じたのは生まれ故郷だった。フランスとアメリカ国籍を持つチャールズ・ジョゼフ・ボナパルトだったが、最後まで自分はアメリカ人だと主張していたという。
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チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトの妻 エレン・チャニング・デイ・ボナパルト 1852-1924 |
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ボナパルト家のバルチモアの別邸。 |
チャールズは弁護士の娘エレン・チャニング・デイと結婚したものの、子供には恵まれなかった。夫の母は若い時代にひどい目にあったせいか、フランスやボナパルト家に好意的ではなかったが、エレンは逆に興味を抱いていたと語られている。
チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトは子孫を残さなかったが、FBIを語る時、その創設者として彼の名は歴史にしっかりと刻まれている。
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FBI紋章 |
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