2017年3月17日

メトロの駅名は語る 30

Château rouge
シャトー・ルージュ (4号線)

モンマルトルの丘に行く人がよく利用するこの駅の界隈はとても庶民的で、それが魅力だと好んで住んでいる人も多いようです。
フラン人よりアフリカの住民が多く、まるでパリにいながら異国にいる感じ。 

19世紀に建築された石灰石とレンガの瀟洒な館。
この地に「シャトー・ルージュ」と呼ばれる館があり、そこからこの駅名が生まれました。19世紀に建築された石灰石とレンガのその館は、ルイ16世様式のネオ・クラシックの優雅な建造物で、広い庭園もありました。 

1814年、イギリス、ロシア、プロセイン、オーストリア、スウェデーンなどが同盟を結び、ヨーロッパの平和を乱すナポレオン皇帝を失脚さようと、フランスに戦いを挑みます。
ナポレオン率いるフランス軍は追い詰められ、連合軍のパリ占拠が時間の問題となったそのとき、ナポレオンの兄ジョゼフが、パリが見下ろせるモンマルトルの丘の「シャトー・ルージュ」でパリ防御の指揮を取っていました。

けれども多勢を前にフランスは戦いを失い、ナポレオンは地中海のコルシカ島に流刑されるのです。
華やぎあふれる舞踏会が頻繁に開催されていました。

こうした歴史も刻んだ館のオーナーは何度か変り、最終的にボボウフと名乗る人が買い取り、1847年ころから派手な舞踏会を催し話題を呼びます。

1871年のパリ・コミューンで、兵士や民衆によって荒れ果てた屋敷。
1871年、パリ・コミューン(パリ市の自治市会)と政府軍が激戦を交わしたとき、民衆がモンマルトルに大砲を設置し「シャトー・ルージュ」も大きな破損を受け、衰退の道を辿ります。
1889年、ついに館は解体され、今はかつての面影も残っていません。