2017年3月25日

パリの駅名は語る 32

Gare de l'Est
ガール・ドゥ・レスト(4、57号線)

1849年にパリとストラスブルクを結ぶ鉄道の駅として誕生したガール・ドゥ・レスト(東駅)は、フランス東部、ドイツ、ルクセンブルクに行く際に欠かせません。
そのためにメトロも3路線あります。
1860年、ストラスブルク駅と呼ばれてい時代の光景。
当初、ストラスブルク行きの列車の発着場だったので、ストラスブルク駅と呼ばれていました。

1883年10月4日、最初のオリエント急行が
パリからトルコのコンスタンチノープルに向かいました。
この駅が脚光を浴びるようになったのは1883年。
コンタンチノープル(現在のイスタンブール)行きの初めてのオリエント急行が出発したのです。

その後、第二次世界大戦初期に、感動的な出来事がありました。
1940年12月15日、真冬の寒さが厳しい雪が降る真夜中のこと。
ウィーンで21歳の若さで亡くなり、ハプスブルク家のカプチーナ納骨堂に眠っていたナポレオンの息子ローマ王が、オーストリアから列車で故郷パリに帰還し、この東駅に到着したのです。
 
死の床のローマ王。
ランス皇帝ナポレオンとオーストリア大皇女マリー・ルイーズの間に生まれた
唯一の子供。本来ならば幸せな人生を送るはずでしたが、
彼が3歳のときに父ナポレオンは戦いに敗れ流刑され、
ローマ王は母に連れられてオーストリアに行き、
そのまま半ば監禁状態で成長し、21歳の若さで肺結核で世を去り、
オーストリア王子としてウィーンに葬られたのでした

その後、無言のロ-マ王は東駅から、彼の父ナポレオンが眠るアンヴァリッドに向かい、無数の松明の炎を手にするフランス共和国衛兵に守られながら、敬愛していた父が待つアンヴァリッドのドームの下に安置されました。

このような歴史を刻んでいるのかと思うと、実用的な駅とはいえ、何となく貴重に思えてきます。