2018年3月5日

メトロの駅名は語る 74

Louis Blanc
ルイ・ブラン(7号線)

ジャーナリストであり歴史学者、左翼の政治家でもあった知性の人、
ルイ・ブランを称える駅名。
ルイ・ブラン(1811-1882)
父がスペイン皇帝ホセ1世の側近だったために、ルイ・ブランはマドリッドで生まれます。ホセ1世はナポレオン皇帝の兄ジョゼフで、弟のお陰でスペイン皇帝に就任し、名前をスペイン風にかえていました。

優秀な生徒だったブランでしたが、母が世を去り父が悲しみで精神的な大打撃を受け、19歳で家長になります
若き日のルイ・ブラン。右下は彼のサイン。
その後、親類を頼ってパリで暮らすようになり、徐々に社会主義に同調しジャーナリストの道を選びます。

複数の機関紙を発行した後、議員になり、労働時間短縮など働く人々の待遇改善につとめます。
会議で熱弁をふるうルイ・ブラン。
やがてナポレオン3世の第二帝政時代がはじまり、それに歯向かうブランはフランスを離れベルギーやイギリスに暮らすようになり、1870年、ナポレオン3世失脚に伴いフランスに戻ります。

第三共和制になり議員になったブランは、常に労働者の味方でした。
けれども体調をくずし南仏に暮らすようになり、71歳の惜しい生涯をカンヌで閉じます。

パリ5区のモンジュ広場にあったブランの彫刻の前で、
生誕100年記念のセレモニーが行われました。
この彫刻は後年に取り除かれ、今は見られません。
幸い彼が残した労働者ための思想は、今でも引き継がれています。