2015年10月24日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 14

建築家シャルグランによる壮麗な舞踏会の間
結婚式が終わった夜は、宮殿内のオペラ劇場で晩餐会。そのオペラ劇場は、ルイ15世から王太子とマリー・アントワネットの結婚祝いのプレゼントとして建築されたもの。
マリー・アントワネットにとって苦痛だったのは、親族と共に舞台の上で食事をし、それを観客席にいる貴族たちが興味深く見ていること。これはルイ14世の時代から続いていた公開食事だったのです。緊張していた彼女は、ほとんど食事に手をつけなかった、と記録は語っています。
ラシーヌ作「アタリー」を宮殿内のオペラ劇場で上演。
後日、5月23日には、オペラ劇場で「アタリー」を上演。その名作は、ルイ14世の愛妾で後に極秘に結婚したマントノン夫人の依頼でラシーヌが書いた作品。王太子が特に好きな宗教悲劇でしたが、マリー・アントワネットは暗い内容で退屈で仕方なかったようです。
当時のヴェルサイユ宮殿
それ以後も舞踏会、観劇などの祭典が毎晩続き、ブルボン王朝の華やぎがオーストリアをはじめとし、ヨーロッパ各国に轟いたのでした。