2016年2月9日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 55

タンプル塔で数回にわたり裁判の準備をしていた、
国王と弁護士マルゼルブ。
1793年1月、ルイ・カペーの運命を決める投票が行なわれました。
マルゼルブ弁護士
投票は3回行なわれ、その結果、死刑賛成361票、
反対360票で、国王の運命が決まったのです。
1月20日のことでした。

午後2時ころ、ガラ法務大臣、エベール代理官、マルゼルブ弁護士がタンプル塔の王に、判決の報告をするために急ぎます。
悲痛に打ちのめされたマルゼルブは、王の姿を見るや否や、床に崩れ落ち涙をとめどなく流します。

その姿からずべてを察した王は、これまで自分のために努力してくれた感謝の言葉をマルゼルブに告げます。
どこまでも温厚なルイ16世でした。

処刑判決を告げられても、国王は微々たる動揺も見せず、冷酷な男だと誰からも恐れられていたエベール代理官でさえも感動し、後年、そのときの思いを綴っています。
自分の弁護をかって出た
マルゼルブの身を案じていた
温厚なルイ16世。
・・・彼は稀にみる冷静を保ちながら判決を聞いていた。穏やかであり、威厳、気品、偉大さをもっていた。彼の視線にも態度にも、人を超えるものが感じられた・・・
感動の涙をやっとの思いでこらえたとさえ、エベールは書いたのです。

自ら国王の弁護をかって出て、出来る限りのことをしたマルゼルブでしたが、国王を救うことが出来なかったばかりか、1794年、亡命貴族と陰謀を企てたという嫌疑をかけられ、72 歳で処刑されます。悲劇は彼だけで終わらず、娘を含む家族多数が処刑されています。

マルゼルブがルイ16世の弁護をかって出たとき、
「貴殿は余の命を救えないばかりか、貴殿自身の命を危険にさらすことになるであろう」
と、王が語った通りになったのでした。

マルゼルブの名は、パリのマドレーヌ教会とサントーグスタン教会を結ぶ大通りに残っています。処刑後国王が葬られ、現在、贖罪礼拝堂があるルイ16世広場近くの、街路樹がきれいな通りです。王に忠実だった彼に相応しい配慮です。