2016年2月17日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 58

慈悲深い国王と呼ばれていた
ルイ16世。
1月21日、処刑の日、国王は朝5時頃に目覚めます。よく眠ったようで、いつもと同じように爽やかな顔で侍従クレリーに声をかけます。

2番目の王子ルイ・シャルルが生まれたときから、クレリーは王子の侍従として仕えていました。
1789年に革命が起き、暴徒たちがヴェルサイユ宮殿におしかけ、国王一家がパリのチュイルリー宮殿に住むようになると、あくまでも忠実なクレリーは、一家を追って移住し、侍従の役目を続けます。彼が身近にいることは、国王一家にとっても心強いことでした。

その後事態が悪化し、王一家がタンプル塔に幽閉されると、そこでも王にお仕えしたいと願い出て、許可をもらい王のお世話をしていました。
最期の日まで
王に使えていた侍従クレリー。
彼の妻マリー・エリザベットは王妃の音楽のお相手をしていた人で、彼女も王妃のお役に立ちたいと、タンプル塔近くに住み、王妃が散歩するときには、音楽を奏でて慰めていた思いやりのある夫妻でした。それも最初の内だけで、直ぐに禁止されてしまいます。

王家に忠実だったクレリーは、国王処刑後、監獄に入れられ、革命が終わるまで釈放されませんでした。
後年、ナポレオンが妃ジョゼフィーヌの侍従の地位を勧めます。が、それを断り、ただひとり助かったマリー・テレーズ王女を慕って、彼女が暮していた母マリー・アントワネットの故郷、オーストリアへと向ったのでした。

タンプル塔での王の最後のときは刻々と過ぎていきます。そしていよいよ、ルイ16世が最後の祈りを捧げる時が来ました。白いシャツの上に白いチョッキを着て、グレーの半ズボンをはいた王のために、クレリーは祭壇のかわりになる大きさのタンスの埃をていねいに払い、その前にひざまずくためのクッションを置きます。
フェルモン神父。

王にふさわしくないその簡素な祈りの場を見つめながら、クレリーは胸が張り裂ける思いでした。彼の目から涙がとめどなく流れていました。

6時。フェルモン神父が王の部屋に入ってきて、静かで、寂しい祈りが始まります。重い祈りの声は、部屋をさまよった後、厚く暗い壁の中に吸い込まれていきました。

神の元に行く準備が出来た、と言いながら、王は指輪をはずし、それを王妃に渡してほしいとクレリーに頼みます。
王は何度も涙を拭いていました。別れがつらいという悲痛な言葉もクレリーは耳にします。

と、突然、ドアが荒々しく開き、役人たちが足音を高くしながら入って来ました。処刑場に行く時間がきたのです。王は落ち着いた態度を崩さず、役人に囲まれながらドアの外に向って行きます。
これほど温厚な国王が、共和国設立のために、何故処刑されなければならないのか、クレリーは最後の最後まで理解できませんでした。
外に待たせてあった馬車にルイ16世が乗り、その隣りにフェルモン神父が座り、馬車は共和国広場(現コンコルド広場)へと向います。その周囲をおびただしい数の兵が囲んでいました。