2016年10月17日

メトロの駅名は語る 6

Tuileries
チュイルリー (1号線)

チュイルリー宮殿と庭園。17世紀。
現在は宮殿の右端と左端のみ残っていて、
ルーヴル美術館の一部になっています。
かつて瓦(フランス語で瓦はチュイル)の製造を行っていた地が脚光を浴びるようになったのは、16世紀半ばで、摂政を務めていたカトリーヌ・ドゥ・メディシスが宮殿を建築させた時。 チュイルからチュイルリー宮殿という名が生まれ、それが後にメトロ名になったのです。
 
チュイルリー宮殿内の「平和の回廊」
ルイ14世がこの宮殿の庭園を造園家ルノートルに任せ、現在見られるようなフランス式庭園が完成。ところが国王はヴェルサイユ宮殿に宮廷を移し、1683年、放置されます。

モネが描いた「チュイリー」1876年作。
革命後ナポレオンがチュイルリー宮殿に暮らすようになり、その後、王政復古で王座に就いた国王も、第二帝政を築いたナポレオン三世もこの宮殿に宮廷を置き、華やぎが戻ってきます。

マネが描いた「チュイルリーのミュージック」1862年作。
ところがドイツを相手とする普仏戦争でナポレオン三世は大敗。1871年、パリ市民の自治体であるパリ・コミューンと政府軍が激突し、その際、チュイルリー宮殿はパリ・コミューンによって燃やされます。宮殿は姿を消しましたが、庭園は残り、公園として憩いの場になっています