2016年10月20日

メトロの駅名は語る 7

Palais Royal =Musée du Louvre
パレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル (1,7号線)

17世紀のパレ・ロワイヤル。
1900年にメトロが開通した当初は「パレ・ロワイヤル」と呼ばれていましたが、ルーヴル美術館の入り口に最も近いのでミュゼ・デュ・ルーヴルが後で加えられ、現在の駅名に変更されました。けれども、今でもパレ・ロワイヤル」の名で親しまれています。

後にパレ・ロワイヤルと呼ばれる広大な館を建築させた、
ルイ13世の宰相であり枢機卿リシュリュー。
 この駅の近くに、ルイ14世が子供のころ住んでいた広大な館があったために、王宮という意味パレ・ロワイヤル」と呼ばれるようになりましたが、元は国王ルイ13世の宰相であり枢機卿リシュリューの館として1628年に建築。当時は「パレ・カルディナル」つまり、「枢機卿宮」でした。
国王に忠実な彼は、ルーヴル宮殿に暮らしていた王の近くに自分の住まいを持ちたいと思ったのです。王もリシュリューに頼りきりでした。

幼少のルイ14世(左)と、弟のオルレアン公フィリップ(右)。
1642年暮れ、リシュリューはパレ・カルディナルで生涯を閉じ、遺言に従い館はルイ13世に贈与されます。が、彼もリシュリューを追うように翌年に逝去。

亡き父を継いで王太子がルイ14世と名乗り、ルーヴル宮殿に暮らしていましたが、母の希望で「パレ・カルディナル」に居を移し、それ以降パレ・ロワイヤル」と呼ばれるようになったのです。

4歳で国王になったルイ14世は、パレ・ロワイヤルに暮らしながら、リシュリューの後継者マザランの指導のもとに立派な君主に成長していきます。
乗馬の練習をしたのはパレ・ロワイヤルの広大な庭園だったし、中央にあった大きな池で危うく溺れそうになったこともあります。

オルレアン家の紋章が刻まれた会議室。
革命前の豪華な生活が伺えます。

ヴェルサイユに宮廷を移しそこに暮らすようになったルイ14世は、館を弟オルレアン公フィリップに譲り、それ以降オルレアン家所有となりました。後のオルレアン公の時代に、庭園を囲むように建物が建てられ、レストランやカフェ、ブティックが生まれ、庭園は誰でも入れる場になったのです。