2016年1月13日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 47

チュイルリー宮殿に入ってきた民衆につめよられる国王夫妻。
ヴァレンヌからパリに戻り、チュイルリー宮殿に暮すようになった国王一家の監視は、以前より一段と厳しくなりました。
自由を表す
赤いボンネットを被せられた王。

1792年6月20日のこと。
群集が宮殿内にまで入ってきます。その人数は1万とも2万とも言われています。

フランスで起きた革命に強固反対するオーストリアとプロシアが、連合を組んで戦いを挑んできたのです。
新たな時代を築くことに、情熱のすべてをかけていた革命家たちは、民衆を扇動し、それに対抗するよう結束を呼びかけます。
新しい制度のために
断固として戦おうと結束する群集。

多数の群集に押しかかられ、
その場はなんとか切り抜けますが、王権の威力が下降線を辿っていたことは明らかでした。

王家と一般市民の間に、まるで格差がないかのように近寄られた王妃は、屈辱に唇を震わせながら窓辺に立ちます。
王妃と子供たちに危害をかけたら一大事と、護衛が機転をきかせてテーブルでさえぎり、それ以上近寄れないようにしたために助かりましたが、血迷った群集が怪我を負わせても不思議ではないほど、緊迫した状態でした。
追い詰められ、テーブルの後に避難する王妃と子供たち。