2017年4月14日

メトロの駅名は語る 36

Les Halles
レ・アル(4号線)

レ・アルは中央市場という意味で、その名の通り、ここにはパリ市民の日常生活に欠かせない市場がありました。

1770年代の中央市場広場。
この近くに屋根つきの卸売り中央市場がありました。
小規模ながらマルシェが生まれたのは12世紀のことで、肉や野菜、パン、ワインなどを売っていました。その後、パリの人口が増えるに従って拡大され、16世紀には卸売りの中央市場として屋根つきの建物が誕生します。

小麦専用の中央市場。
右がカトリーヌ・ドゥ・メディシスが造らせた円柱(天文台)で、現在も残っています。
中央市場は取り扱う品によって建物が異なっていましたが、1760年にはクーポルつきの立派な小麦売り場も作られます。その地にはカトリーヌ・ドゥ・メディシスが建築させた館がありましたが、1740年に取り壊されます。カトリーヌが館の一部に作らせた円柱(彼女専用の天文台だったといわれています)は今でも残っていて、パリのモニュメントとして注目を集めています。

小麦を扱っていた建物はその後、商品取引所となり現在も残っていますが、実業家フランソワ・ピノーにより美術館として新たな姿を近々見せるそうです。

バルタールの案に従って、
近代的設備を整えたガラスと鉄骨の中央市場、レ・アルが誕生。
パリ市民の食料品を扱うからには、衛生にも気を配らねばならない。ということで、1848年に安心できる本格的な中央市場を建築することになり、コンクールの結果ヴィクトール・バルタールの案が採用されます。

バルタールによって建築された中央市場。1919年ころ。
1852年から1866年にかけて建築された中央市場は、1969年にその界隈の再開発のためにパリ南郊外のランジスに移動し、バルタールによる中央市場は解体される運命を辿ります。

けれどもそれを悔やむ人や反対者が結束した結果、1棟がパリの東、ノジャン・シュール・マルヌに移され、現在はパヴィリオン・バルタールと呼ばれ、コンサートなどのイヴェント会場として親しまれています。

若者たちで賑わうショッピングセンター、カノペ・デ・アル。
その後レ・アルには巨大なショッピングセンター、フォーラム・デ・アルが登場。若者たちに愛されていましたが、それも老朽化し再び再開発がなされ、現在は深い森を意味するカノペ・デ・アルと呼ばれるガラスを主体としたコンテンポラリーなショッピングセンターになっています。

フランスの文豪エミール・ゾラが、中央市場を舞台にした小説「パリの胃袋」を書き、それにちなんでパリの胃袋と呼ばれていた時代から、レ・アルは何と変ったことでしょう。