2010年11月22日

マリー・アントワネットのデザイナー 6

マリー・アントワネットと
第一王女、王太子 1785年

マリー・アントワネットの服装にかける費用は、
子供が生まれてから5年後には4倍にもなっていました。

これでは、王妃への手当てをいくら増やしても、追いつかない。
ベルタンが請求する金額は、国王の援助金なしでは支払えない状態が続いていたのです。

その他、ドレスに合わせて帽子も作る。
ベルタンは請求書の明細を作ったことがなかったために、苦情を言う人も宮廷にはいましたが、
何しろ王妃のお気に入り。そのために、強いことは要求出来ず、結局、いいなりに支払う他ない。

ドレスには最高級のシルクやタフタ、ビロード、レースが使用され、ボタンはダイヤモンドが多いし、
その上豪華さを増すために羽をつけたり、
パールも縫い付ける。
胸元や、袖口、足元ではレースがひらひらと舞う。

そうしたごってりした服と釣り合いを取るために、ヘアーもボリュームたっぷり。
宝飾や羽をつけたり、ヘアーを油で固めて庭園を作ったり、本物のお花をいけたり、船をのせたり・・・
王妃を模倣したがる貴族夫人の注文も増すばかり。それに比例してベルタンの不動産も増えていきました。パリに住まいを何件も購入し、近郊の別荘ともなると、イギリス庭園まで作らせ、まるで小トリアノン。
それでも彼女は仕事が何よりも好きな働き者で、結婚もしなければ 、子供もなし。そのかわり家族思いで、故郷から家族を呼び寄せ、裕福な生活を味わわせていたのです。
マリー・アントワネットがジャン・ジャック・ルソーの影響を受けて、自然と親しむようになると、利発なベルタンもそれに素早く順応。彼女は王妃に今までと異なる装いをすすめます。
続く・・・