2010年11月28日

マリー・アントワネットのデザイナー 9

国王処刑後の
喪服姿の王妃
タンプル塔で厳しい監視の元に暮らしていたマリー・アントアネットのために、ベルタンが作ったのは4つのボンネットと数枚の肩掛け、そして何足かの靴下。

やがて革命裁判がおこなわれ、その結果死刑の判決を受けた国王ルイ16世は、
1793年1月21日にコンコルド広場で処刑。未亡人になったマリー・アントワネットは、それ以後、喪服だけを着るようになります。革命家からその制作を依頼されたベルタンが作ったのは二枚の喪服。それがベルタンがマリー・アントワネットのために作った最後の服となったのです。

その後マリー・アントワネットはコンシエルジュリーに移されます。それも急に決まったことで、着の身着のままの王妃のために、後日、彼女がタンプル塔で使用していた服を、コンシエルジュリーに運んでいます。

ベルタンが作った喪服で
毅然とした態度を崩さない王妃
同じ年に王妃も革命裁判にかけられ、ヴェルサイユ宮殿でいかに彼女が贅沢していたかの証明のために、服の注文書の提示を命じられたベルタンでした。が、彼女はそのいくつかを処分。このようにしてベルタンは、少しでも気の毒なマリー・アントワネットのために役立ちたいと願ったのです。

その後ベルタンはフランスを離れます。行き先はロンドン。多くの貴族の亡命先だからです。そこで彼女はマリー・アントワネットの処刑を知ります。

運命は不思議なもので、同じ亡命先に、かつてマリー・アントワネットの宿敵といわれていた、
ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人もいました。
死の控え室と呼ばれていた
コンシエルジュリー
ベルタンは彼女にフランスに戻るのは危険だと忠告。
けれども残してきた宝飾などが気になってしかたがないデュ・バリー夫人は、ベルタンの忠告を無視。
それが彼女の運命を決定したのです。

続く・・・