2015年11月7日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 19

国王ルイ15世の愛妾、デュ・バリー夫人に対して、特に悪意を抱いていなかったマリー・アントワネットでした。ところが、3王女にいろいろと吹き込まれ、徐々に感化を受けるようになり、デュ・バリー夫人を無視する日が続きます。

身分の高い人から声をかけてもらえない限り、挨拶することは禁じられている。それが宮廷のしきたりでした。
大勢の人が行き交う鏡の回廊で、マリー・アントワネットは貴族夫人たちに笑顔を振りまきながらご機嫌を伺ったりしている。それなのに、デュ・バリー夫人には目もくれず、そっぽを向いて冷ややかに通り過ぎる。それを見て3王女は嬉しさを隠し切れない。
デュ・バリー夫人

私生児として生まれた後のデュ・バリー夫人ジャンヌは、当初モード店で働き、その内、魅惑的な美貌で複数の裕福な殿方の愛人になり、高級売春婦と呼ばれるようになる。

国王が妃も愛人ポンパドゥール夫人も失い、寂しい日々を送っていたころ、側近を通して王に紹介され、妖艶な彼女をひと目で気に入ったルイ15世は愛妾として宮殿に住まわせたいと思う。
けれども、それを実現させるためには彼女に貴族の称号が必要、という規則があった。
あわててデュ・バリー伯爵と形ばかりの結婚をさせ、伯爵夫人となって王の正式な愛妾となったのでした。

国王がデュ・バリー夫人に
プレゼントした
ルーヴシエンヌのシャトーでの
1771年9月2日の祭典
いつまでも王太子妃が声をかけてくれないとに憤りを覚えたデュ・バリー夫人は、国王にいいつけ
る。王はオーストリア大使メルシーに忠告し、彼はマリア・テレジアに報告し、マリー・アントワネットはお小言の手紙を受け取る。

1772年1月1日。
「今日のヴェルサイユ宮殿には、何とたくさんの人がいること」
王太子妃は、ついにデュ・バリー夫人に声をかけ、国王の愛妾を認めたのでした。マリー・アントワネット自身はデュ・バリー夫人に嫉妬も恨みもなかったし、デュ・バリー夫人も明るく温かい心の持ち主だったのです。

革命で捕らえられたデュ・バリー夫人は、マリー・アントワネット処刑から約1ヶ月後に断頭台にのぼり、二人共マドレーヌ墓地に葬られました。その共同墓地では王妃と王の愛妾に身分の差はなく、皆、平等に扱われました。革命はそういうものなのです。