2015年11月18日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 24


王太子妃時代は、あまりお洒落に興味を持っていなかったマリー・アントワネットでした。ウィーンに暮していたころはもちろん、フランスに嫁いでからも、決められた服を着ているだけだったのです。

ところが、今や王妃になった。年金もぐっと増え、
自分の自由になるお金がたっぷりある。しかも20歳で美しい容姿に恵まれている。宮廷人はこぞって彼女の優美な姿をほめ、憧れのまなざしで見つめ、お世辞の言葉を束にして捧げる。

王妃としての自分の自覚が生まれたマリー・アントワネットは、外見に気を配るようになる。

そうしたときに、シャルトル夫人がお気に入りのデザイナー、ローズ・ベルタンを紹介したのです。

パリの北にあるピカルディー地方に生まれたベルタンは、手先が器用で、ヘアも服も手がけるセンスのいい人でした。パリのモード店で働いた後、サン・トノレ通りに自分の店「オ・グラン・モゴル」をオープン。そこからさほど遠くないパレ・ロワイヤルに住んでいたシャルトル夫人は、彼女の才能にすっかり魅了され、重要な顧客になったばかりでなく、多くの貴族夫人にも紹介。ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人も、ベルタンに服を作ってもらうようになったほど、彼女は女性の心を捕らえるすべを持っていたのです。
そうしたベルタンを、シャルトル夫人がマリー・アントワネットに紹介したのは、前国王ルイ15世が世を去った1774年、マルリー城でのこと。王の死因が天燃痘だったために、感染を恐れて王族たちはヴェルサイユ宮殿を離れ、その近くのマルリー城にしばらくの間暮していたのです。

そこでは堅苦しい儀式も少なく、そのためにデザイナーを紹介するチャンスがあったのです。

ベルタンの才能を知ったマリー・アントワネットは、それからというもの、ドレスに異常なほどの興味を抱くようになります。日を追うごとに装飾がごってりついたドレスを身に着けるようになり、それに比例してヘアスタイルも華美なものとなり、再びマリア・テレジアからの非難の手紙が届くのでした。
ローズ・ベルタン

王妃の「モード大臣」と呼ばれるようになったベルタンは、宮殿に趣くときには丁重に衛兵に迎えら
れ、王妃の私室に通され、彼女と親密に次の服の詳しい打ち合わせをする破格の地位に上ります。

革命が起きると、王妃の注文書など証拠の書類をすべて処理し、様々な国を転々としながら、様々な国の貴族のドレスを作り、最終的にはロンドンに亡命。

革命後フランスに戻り、ナポレオンの第一帝政時代に、再び花を咲かせようとしますが、彼女の時代はすでに過ぎ去ったようで、引退を決意。66歳で瀟洒な館で生涯を閉じます。