2015年11月26日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 28

ヴィジェ=ルブラン作の
気品あふれる王妃の肖像画。
写真がなかった当時、自分を引き立たせる肖像画を描く画家が重視されていました。
画家の筆次第で、良くも悪くも見えるのですから、イメージに大きな影響を与えます。
ヴィジェ=ルブランによる
王妃のデッサン。

マリー・アントワネットが最も好んでいたのは、彼女と同年の女流画家、エリザベット・ヴィジェ=ルブランでした。

幼い頃から画家だった父の手ほどきを受け、その後、数人の優秀な画家たちから多くを学んだ彼女は、10代半ばで早くも才能が認められ、肖像画を手がけるようになります。

気品ある彼女が描く絵には、同じように品格があり、貴族たちから絶賛され、ついにエリザベット・ヴィジェ=ルブランの名は、王妃の耳に入ったのでした。

マリー・アントワネットのお気に入りとなったヴィジェ=ルブランは、王妃だけでなく、子供たちの愛らしい姿も描きます。
エリザベット・ヴィジェ=ルブラン

7月14日に旧体制の象徴であるバスティーユ監獄が襲撃され、10月6日に暴徒たちがヴェルサイ
ユ宮殿に押し入り、国王一家がパリに連行されるや否や、ヴィジェ=ルブランは娘を伴って外国に亡命します。
画家のデリケートな感性が、彼女に身の危険を悟らせたのでしょう。

外国を転々をしていた彼女をもっとも温かく迎えたのはロシアでした。
女帝エカテリーナ2世は、誰よりもフランスで起きた革命におののき、亡命貴族を優遇していたのです。彼女は反革命運動を起こすフランス貴族たちに、莫大な資金を調達していたほど。

その後、革命が終わりフランスに戻ったヴィジェ=ルブランでしたが、
王妃処刑という、身を切るような苦しみから逃れることは出来なかったようです。娘にも先立たれた彼女の晩年は寂しく、思い出にひたりながら86歳で生涯を終えます。
マリー・アントワネットが亡くなって7年後に、
ヴィジェ=ルブランが描いた肖像画。